花チャンネル

日々、私の中から生まれる詩、言葉を綴っています。

あけましておめでとうございます!





今年も1年、新しい年が始まりました。





自分もこのブログに詩を綴り始めて1年近く経ちました。




ちょっと発表です。





1年近くブログをやってて、途中でやりたい夢が出来ました。




ずっと心の中で暖めてきた想いなのです。




でも、本当にそんな事が出来るのかな?と不安でもありました。






先日、「物語を創りたい」という友だちから相談を受けて。




友だちが伝えたい想いはなんなのか
どうしたら、その想いが作品を通して伝わるのか
どうやったら、その紙の上にある作品の世界を、外の世界へ出すことが出来るのか。





友だちがどう在るのが自然で、どうその作品が在るのが自然なのか。





「人が心の中に秘めた想いを感じて、言葉で表現する」のは私の得意技。




私がこの心のスクリーンに友だちの想いと、作品の物語を映して、この感性と想像力をフル回転させて。



その出てきた直感に近い想いを友だちに伝えました。




とても良い感じで、作品の手応えを、どう表現したいのかをはっきりと感じたみたいでした。




私もはっきりと手応えを感じました。





「私はやっぱりこれがやりたい!」って。





私のやりたい事は「夢ひろい屋さん」




その人が秘めた想いを形にして、その人にプレゼントすること。



その人が気付いていない自分の想いを、夢を
「ひろってプレゼントしたい」




その友だちとの相談の中で気づいたのは
「私が夢をプレゼントしてあげる!!」という強く押すことではなく




「私は友だちと、友だちの創る物語のファン」だって事。




ファンだから応援したい、その作品をもっと読みたい。




彼女が創る彼女の作品を、もっと彼女らしい作品にしたい。





そのために、彼女の想いをたくさん聞きたい。




力になれることなら何でもしたい。




そう思いました。




想いを暖めてるだけで形にならなかった

「夢ひろい屋さん」

が初めて形になった瞬間でした。





これからなにがどう起こるのか、なにもわかりません

でも感触だけは、はっきりとわかりました。



とてもとても楽しみな1年です(´▽`)ノ

語る背中

背中で語る人、と聞いてどんな人が思い浮かぶだろう。




私はお父さん。




とても無口でのんびり屋さん、怒ってる姿を一度も見たことがない。




怒られた記憶がない。



そんな穏やかな人。




お父さんとはそんなに話した事がなくて
その何も話さなくていい雰囲気が心地良くて。




私はなんでそんなにお父さんが無口なのかを、知ってる。



とっても簡単




「話すまでもないから」





お父さんは身に起こる全ての事を受け入れる。


そして全てを信頼してるから





「話すまでもない」

「君なら絶対大丈夫だから」



そう、背中が語ってる。







妹が結婚したい人がいると言ったとき


「君が選んだ人でしょ?悪い人じゃないよ、結婚したらいいじゃない」


と受け入れて。




結婚の挨拶の時は
お相手の人に事前に



「スーツはダメだよ、余計に緊張しちゃう。僕はそうだったからね。普段着で来なさい」




と伝えてて。






お父さんは自分とお母さんを
「ごく普通の夫婦だよ」
と言ってるけど



「夫婦げんかを一度もしたことがない、それこそ付き合ってる時からしたことがない」



それが
とても自慢な事を知ってる。



あまり話さないけどね。






私はそんなお父さんが大好き。


心の底から尊敬してる。





そして一生かけて追い付きたい目標。


大きな大きな、壁のような目標。






この間、そんな大好きなお父さんが倒れた。




その日の晩御飯はいつも通り、みんなでテレビ番組を見て笑って過ごしてた(笑)




「一人分作るの減るから、皿洗いが楽だわ~」なんて大笑い。







「危機感ないねぇ私たちは。一家の大黒柱が倒れたんだけどねぇ」



「えー大丈夫でしょう、倒れた先の病院でお医者さんとラグビーの話しで盛り上がってたし」



「あ~あ~、元ラガーマンのお父さんにラグビーの話振っちゃったんだ、お医者さん・・・」




「お医者さんも世間話のつもりで話したんだろうけどね」



「「ラグビーの事は、話し出したらとまらないよ」」



なんて
おばぁちゃんとお母さんと私で話してて
また大笑い!







お父さんが動けないなら、動ける私たちが動くだけだもの。
なにも問題ないよ。



そんな雰囲気が漂ってる。





そう
お父さんの


「語るまでもない」

「君なら絶対大丈夫だから」




という雰囲気は、私たち家族に骨の髄まで染み渡ってるんだよ。





お父さんが積み上げてきたものがしっかりここに在るんだよ。





「ぜんぶを丸ごと信頼してる
だからなにも心配してない
だから語るまでもない」


ってね



さてはて、大笑いするだけじゃなくて私にできる事はなにか、考えなくちゃね!

心の扉

最近、ニュースを見て痛ましいと思った事。


「長年引きこもって居た人を業者さんが、無理やり出して、ひとり暮らしで働かせたら、ひとりぼっちで部屋で亡くなっていた。」




どうして扉の奥に閉じこもった人を無理やり引っ張り出したんだろう。



その扉は文字通り
「心の扉」



それは内側から鍵がかかっている。

その人自身が内側からかけたもの。



怖いものから自分を護るために。



その部屋は自分が安全だと思える最後の砦。


ゆりかごのようなもの。




それを力ずくで打ち壊し、中にいる本人を引きずり出した。


怖い怖い外の世界へと。



「北風と太陽」


北風と太陽が、旅人の服を脱がせて裸にする勝負するお噺。


旅人の服を脱がせるために、冷たい風を吹き付ける北風。
旅人は服を強く押さえた。
さらに強く吹く北風。
旅人は堪らず、服を重ねて着た。


太陽はポカポカと暖かい陽射しをさした。
旅人は服を脱ぎ始めた。
旅人は薄着になった。
つぎはジリジリと焼け付くような陽射し。
旅人は堪らず、裸になって河に入った。


最後に河の中で「はぁ~っ、気持ちいい!」って笑ってる旅人。




このお噺は、とても大切なメッセージを伝えてるとおもうの。




この業者さんのやり方は間違いなく、北風方式。





籠城した人を攻撃すれば、防御をさらに固くする。


亀を突っつけば、さらに頭を引っ込める。


やればやるほど逆効果なんだよ。



太陽方式は
「旅人が本当に求めているものをプレゼントする」方法。




そのためには焦らずに、まず観察すること。


その人が何を求めているのか、じっくり探る事。


そしてその人が本当に必要としているモノをプレゼントすること。





まずは扉の向こう側から対話をするべきだった。


ゆっくりと焦らずに。



「外は思っていたほど寒くはないのかもしれない。」

と思えば
そろそろと頭だけ出して外の様子を見るために鍵を外すよ。



そこから少しずつ扉を少し開けた状態でお話できるように。



「外でいきなり働けーなんて言わないよ、僕と遊ぼう?」


「君の事たくさん知りたい、少しずつでも教えてほしい。」



バターンと扉を閉められても焦らない。




「自分はここに居て良いんだ」

「この人は自分を認めてくれるんだ」




そう思ってくれれば、少しずつ扉は開いていく。




傷付いた心と身体を護るために硬く閉じた扉を、無理やり開かないで欲しい。



それはその人が必死で考案した鎧なの。




人は「ここなら鎧を脱いでも大丈夫」と思えば自然に鎧を脱ぐ生きものなんだよ。



信じてあげてよ、その人の可能性を。



人の痛みが解らない人や、感じれない人、想像できない人は
人の心に触れるお仕事をしてはダメなんだよ。



わからないなら、さわらないで。




責めるのは簡単だけど

きっと、暖かい人との関わりが必要なのは業者さんも一緒なんだよね。




暖かい人との関わりが、人を癒していく。


そう私は信じてる。 


なら、その人の輪を少しずつ広げていく。



触れる人が暖かくなるように



それが今の私にできる事なのかな。

友達とお酒

私は普段、お酒を飲みません。


飲むのは月に一回くらいでする友達との飲み会だけ。


お酒は好き、みんなと飲むお酒はもっと好き。
だから楽しみのために取っておくの。


そんな私の部屋には1個だけお酒が置いてある。


何年も寝かせておくと、とても美味しくなるのだそう。


この綺麗なガラスのボトルを見ると、彼女を思い出す。

私の大切な友達の事を。




彼女はとてもお酒が大好き。


休日になると全国の酒蔵に足を伸ばして、そこの杜氏さんとおしゃべりしながら試飲するのが趣味の子。


「出回っていないからこそ、見つけたくなる!!宝探しだね!」

と目をキラキラさせながらおしゃべりする彼女が大好きで。



1度だけ彼女の部屋にあがらせてもらった時、そのコレクションにびっくりした。



ガラス張りの棚にたくさんの綺麗なボトルが並べられてて


「前は海外に行ってたけど、さすがにお金がかかるから今は国内なんだよ~(笑)」
なんて笑ってたっけ。




そんな彼女からある日連絡があった。




「最近はね、なにを飲んでも美味しくなくてさ。でも飲むのがやめられなくてね。」と言ってて



当時なんの知識も無かった私は
「それはそうだよ!美味しいお酒は、みんなと飲むから美味しいんだよ。飲みたいなら誘って!」



と返事をした。




月1回集まる友達たちもおんなじ事を言ってて。



それから飲み会は
月に2回、週に1回、多いときは週に2回、3回と増えていった。



「さすがに変だ。何かおかしい。」と私も気付き始めた。



「ねぇ普段は誰と飲んでるの?」と聞くと
「一人だよ、寂しくて。」と。



その日の夜、その子が帰った後、作戦会議が始まった。



酔ってなんていられない。



「あの子、お酒に溺れ始めてるよ。」
「聞いた事ある。アルコール依存症って言うんでしょ?」
「私たちになにができるかな」



その会議は朝まで続いた。



結論が出た。




「あの子の生活から、お酒を遠ざける」



あの棚の宝ものたちは、私たちの家に置く。




「寂しくて飲みたくなったら、私の家においで。一人飲み禁止!」



という分かりやすい作戦だ。



私が預かったのは、
「飲めるようになるまで10年、美味しくなるまで20年。それまで栓を開けてはダメ」
という海外のお酒だった。




あれから10年経った。



彼女は今、2人の可愛い男の子と優しいパートナーさんと仲良く暮らしている。



「忙しすぎて、お酒どころじゃないよ(笑)」
とのこと。



あの時
彼女はからっぽになった棚をみて
自分とお酒の関係に気付き
自分の足で病院へ行った。



「あの時は生きるのに必死だったからね。まぁ今の方が大変だよ!双子だし」
と彼女は豪快に笑う。



あの時預かったお酒は今でも私たちの家に置いてある。



「今は飲んでないけど、待っててね。美味しくなるまであと10年、しっかり寝かせておいてよ。」



その約束を守るために、今日もこの綺麗なボトルの宝物はガラスのケースの中で眠っている。







依存症と聞くと
「ゲーム」「お酒」「お薬」
いろんなものを想像すると思います。



私の中で、依存症というのは
「それがないと生きていけない」と思うこと。

裏返せば
「それさえあれば生きていける」ということ。



過酷な環境に置かれた時に
「これさえあれば生きていける!!」
と思う事は、自然のすごい生存戦略だと思うんです。



かく言う私もいろんなものに依存しています。
「温かいご飯」に
「暖かいお風呂にお布団」
「毎日一緒にテレビみて笑える家族」
「一ヶ月に1回遊ぶ友達たち」

そして私の部屋にある
「友達の宝物」


ほんとに、これがないと生きていけません(笑)


依存症の患者さんと聞くと
「暴れる」
「手に入れるためになんでもする」
「怖い」
とみんなイメージしているみたいです。




違うよ。
私たちがたくさん持っている宝物が、
「これがあれば生きていける!」
と想うものが
一つしか見えていない人なんです。




先日
アルコール依存症から学んだ事」を書いた本を読んでいて
ぶわーっと出てきた想いを書き綴りました。

どんぐり拾い

みんなは走るのが得意、飛ぶのが得意。



今日も私の横をマラソン大会のように走り抜けて行く。

「すごいな~」って尊敬しちゃう。

私にはそんな事できないや。



みんなから見ると私の過ごし方はとても遅く感じるみたい。



うん知ってるよ!

とってものんびりだよ。



承知してるさ。

自負してる。



そう、ちょっと自慢したいのだ!



私がやっと見つけた過ごし方だから。



私はみんなが走る沿道の公園でどんぐり拾いをしている。


足元を見つめて、一つ一つ拾っていく。


「かわいいな」
「きれいだな」
と思ったどんぐりを丁寧に拾って大切にかごの中に入れてくの。




最初は


「ほーら頑張って!」
と声をかけられて


みんなと走ってみようかなと思って走ってみた。



でも綺麗だなと思った風景も一瞬で通り過ぎてしまうし
せっかく拾った大切なものも取りこぼしてしまう。



いったん止まって休憩してると、横にきれいな公園があって
そこにはコロコロかわいいどんぐりがあった。



止まってどんぐりを拾ってると横から



「かわいい!それ、どこで拾ったの?」


と声をかけられた。


「そこの木の下に落ちてたよ。一緒に行く?」



「うん!」



とその子は答えた。



ラソン大会してるときは
話しかける事も、かけられる事もなかったのに。



初めて友達ができた。



ふっとマラソン大会の道を見てみると
走ってる人同士でも声をかけ合ってる。
お話ししながら走ってる、とても楽しそうに。




そっか、走る事が好きな人は走ってて

応援が好きな人は応援しててて

公園でのんびりくつろいでる人はそこでくつろぐ事が好きなんだ。




私はいまここに落ちている幸せを一つ一つ丁寧に拾っていくのが好き。



そうしたらおんなじ事が好きな友達に出会った。



うん、私はやっぱりこれが好き。






今日もあの時と同じように走っている人から
「遅いよー頑張って!」と声をかけられた。



「頑張らなきゃ!」と走ってみたあの日と違って



今日はかわりに


一つどんぐりをあげた。
最近拾った中でも一番かわいい美人さんだ。



「ありがとう、大切にするね!」



とその人は笑顔で走り去って行った。




うん、今日もかわいいどんぐりを見つけよう。




それをあげると、みんなが笑ってくれる。




それを見た時の気持ちが私は一番好きだから。

日なたぼっこパワー

秋晴れの澄んだ空気を吸うと、自分の体が透明になっていくのがわかる。



鳥の声
日の暖かさ
ほほに当たる風
空の青さ


この全てが「私」


その時、私は体を抜け出して
空になり
風になり
日差しになり
鳥の声になる。


そして吸い込む空気と共に私は体に戻っていく。


日なたぼっこは心に良い。



私が自然に還っていく。



その自然の生命力と共に私は体に戻っていく。




人の世界で荒々しい波にもまれた時、私はこの生命力を取り戻しに行く。


できればずっとそうしていたいけど。
人の形を持っているから、人の世界で生きていく。




この感性を持っていなければ、もっと強くタフに狩猟民族のように生きることが出来たのだろうけど。




でもこの感性のおかげで、日なたぼっこで元気になれる。


太陽からの贈り物を人に手渡す事ができる。


その生命力を必要としている人がすぐに分かる。



個としての私に力はないけど、私を経由してのエネルギーならたくさんあるから。


「これからも人の世界で、人に触れ合いながら、ありのままで生きていく」



そんな事を思う、晴れ渡った秋の朝なのでした。

人の世界


「女性は子供を生産する機械だ」と発言した人がいた。


猛烈な怒りを感じた。


「あなたも機械から生産された部品なのですか?」

「自分のお母さんや、おばぁちゃんを機械と呼ぶのですか?」
と聞き返したくなった。





先日
「私は子供を生産する機械だから」と自称する人に会った。


猛烈な寂しさを感じた。


「生身の人間が言っていい言葉じゃない。」

「どんな事があって、自分を機械だと認識してるのだろう」



そう聞き返したくても言えなかった。



割り切って、笑顔で語っていることが、余計に寂しかった。


何が積み重なって、その答えに至ったのだろう。



心を静かにして、その人の世界のすき間に少し同調してみた。



最初に感じたのは「痛み」

そして「空虚感」

幸せや、優しさ、暖かさという光など届かない
凍てつくほど寒々しい荒野。

立ち枯れて、朽ち果てても、土に還る事さえ許されない、一本の樹。


だが、救いすら求めていない。

それに触れた事が無いのだから・・・

暖かさなど初めから解らない。




「私に出来る事なんて何もない。」


「この人の世界に侵される前に、ここを離れよう。」



そう思い、ふわっとフェードアウトしました。




違う、何もかもが根底から違いすぎる。



触れることのできない世界線の人に出会った。



私に出来る事は何もない。


私の持っているものは何一つとして届かない。



「暖かい出会いがありますように」
そう祈るだけ。


自分の世界に暖かい風が吹き込むだけで、人は変われる。
そう私は思っている。



その役割が今回、私ではなかっただけで。



私はその世界から吹き込んできた冷え切った風に少し驚きながら


冷え切った空気と暖かい空気を一緒に吸い込んで深呼吸をして


「自分の世界を大切にしよう、もっと綺麗なものにしていこう」
「そしてほんのちょこっとだけ力強く、広げていこう」


と思ったのでした。




「人はありのままでいるだけで、周りに何かを与える事ができるのだから」


と私は信じているから。