花チャンネル

日々、私の中から生まれる詩、言葉を綴っています。

メメントモリ

日々の日常には、やりたい事や、やらなくちゃいけない事がたくさんあります。


そして
自分が叶えたい夢も
譲れない信念も




そういったものが心の中にたくさん溜まると身動きがとれなくなっちゃう事がある。


信念は右へ行きたがり
夢の方向は左
夢とも信念とも関係ない、やらなくちゃいけない事が前にある。
やりたい事は後ろにあったりして。




こんな時は
一つ質問を自分にしてほしい。



「人生にさよならってするとき、何を思い出すかな?」
「死ぬとき、何を覚えていたいかな?」
って




この質問はその人が一番大切にしている心の一番深い所にある想いを引き出す質問。



「そっかぁ、自分はこれが一番大切なんだ」
と分かった時
パァーっと霧が晴れるの。


一番大切な事が分かったら
その人はその想いを握り締めながら生きていくから、とても力強くなる。




一人一人想いは違うから、これを人に聞いていくのもとてもとても楽しい。




「死」というワードの前向きな使い方。



メメントモリって昔の人は言うみたいだね。




ちなみに私は
「大好きな人たちのたくさんの笑顔」
でした。

草原

私の中には草原がある。



すごく広くて、明るくて、草の香りの広がる、暖かい世界。



誰でもウエルカム。
来た人はくつろいでいって。
ここにはなにもないけれど、なにもない穏やかさがあるよ。



この草原が、ここにある全て。



なにもしない事に慣れない人は、何かをここで探そうとする。


ここにはなにもないよ。
ただ空間があるだけだよ。



この草原に居心地の良さを感じて長居する人もいる。


それが私の友だち。



私はなにもしていないよ。
ただいるだけだよ。


とても不思議だけど、みんな遊びに来てくれる。


おいで、おいで、誰でもおいで。



たまに私に激しさを求める人もいる。


それは私の役割ではなく、あなたの役割ではないですか?


自分に火を点けてほしい人は、あなたを周りに来てくれるのではないですか?



あなたが炎なのですから。



あなたはあなたの世界と、そこに来る人を大切にしてあげて。


私は自分の草原に火を点けてもなにも生み出さない。


草原を、そこにくつろぐ友だちを失うだけ。



さぁ、今日も生きよう。
ここは、この草原はいつでどこでも、ここにある。

一本一本の糸を織るように縫うように、世界に幸せを編み込んで行きたい。



人から嫌な想いを受け取る事もあれば
人から良い想いを受け取る事もある。


そのどちらも私の中で大きくなる。


だからたくさんの良い事を受け取った時は、その綿を糸のように紡いで
その糸を丁寧に編んで、世界に縫い付けて行く。


その織物を織ると、なぜか私の中の嫌な想いの綿もいつの間にか、一本の糸になっていく。



その形がどうであれ
縫い終わる事はないと思う。


私がこの世界を去るたったの数十年の間にどれだけ編む事が出来るだろう。



昨日も今日も良い想いを頂いた。



その人達の顔を思い浮かべながら、今日もまた丁寧に編んでいこう。


いつかその織物が誰かの糸になることを願いながら。


いつかそんな織物達が世界を包む事を祈りながら。

あの灼熱の夏の日

あの灼熱の夏の日



私はゆっくり生きようと思った。



その日までの私は
数々の重荷を背負って、坂道を駆け上がっていた。


そうすれば強くなると思っていた。
タフになれると思っていた。


疲れ果てても歩き続けた。
でも疲れて
なんのために、何をしているのか、分からなくなっていた。



その日私は趣味で山を登っていた。


長い、暑い、辛い。
いつもよりも体が重い。
ぜーはーしながら登っていた。

突然目の前の森が開けた。
そこは山の中腹で、海がパノラマで見える場所。



綺麗だった。
ただひたすら綺麗な風景だった。



「帰ろう、ゆっくりのんびり帰ろう」


私は満足して山を降りていった。


今までならありえない「途中で諦める」という行動。


ただ「帰ろう」と思った。


帰り道は
それまで抱えていた人生の荷物を山に降ろして来たのでは?
と思うほど、心も足取りも軽かった。



後々私は「戦い」というものを山に置いてきた事に気が付いた。



「こんなの持ってても邪魔でしょ」と山が荷物を降ろしてくれたみたい。


戦いをなくした私は、必要なくなった武器や鎧を捨て始めた。


より身軽に、肌身で風を感じれるように。


体が軽くなって、自然を全身で味わいたくて、歩くスピードは遙かに遅くなった。



あの灼熱の夏の日

あの帰りの山道



山から聞こえた声
「その苦しさが、あなたの人生で味わう最後の苦しさ」
とはっきり感じた、あの感覚。



あの日からずいぶんと経った。
あの山道の苦しさ以上の辛さは今のところ、ない。



武器や鎧をすべて脱ぎ捨てて見つけたものは「花」だった。


頼りなくて、繊細で、弱くて。
向き合いたくなくて。
それで強くなる為にフル装備で戦いを選んでたんだ。


今の私はあの頃よりも遙かに弱い。
でもあの頃よりも遙かに幸せだ。


自分の感受性を押しつぶしていないからね。


自然の声に耳を澄ませる事。
自分の声に正直に生きる事。
そのためにゆっくりのんびりのペースで歩く事。


私はあの灼熱の夏の日から変わっていない。


大切な事だけど、大変な時はつい忘れてしまう。 


だからここへ書き残そうと思って。

幸せという言葉

幸せという言葉には魔法がかかってる。


「幸せになる方法」
という言葉に触れたとき、私の体には何とも言えない違和感が浮き上がってくる。


「幸せ」になる・・・。


「今」のあなたはどこにいる?


それは今幸せではない
「今の自分」を否定する事からスタートしている気がする。


人は変化する。
自然は変化し続ける。


その自由な変化に一定のラインを引いて
ここから「幸せ」
ここから「不幸」
と設定する。



「自然」は変化を良しとする
「幸せ」は一定方向のみへの変化を良しとする。



気持ち悪い。


なんて不自然なんだろう。



今の自分を踏み潰して未来にある幸せというものを掴もう、あるいはラインを超えようとしている人達。






最近知人に「自己啓発セミナー」なんてものに誘われてしまった私。


パンフレットを見ると出てくる違和感。
言葉にならない感覚。


その感覚を言語化したいと思って参加しました。



会場で見た
「目をキラキラさせて自己否定する人」
「この人達を導く私は素晴らしい」と陶酔する人



私の心の中で鳴り響く、「ここ、嫌だ」という声。
動悸、吐き気という体からの最終段階の警告。



途中で退席しました。


言語化どころかダメージを受けてしまいました。




「幸せ」という言葉は
「祝福」であると同時に
「呪い」でもあるんだ。

言語化はできました。



少しだけ
「生きづらい社会」
というものを理解できた気がします。


今の自分を肯定する事さえできれば、自然体でいれば
物事は滞りなく流れていく。
自然に、緩やかに。


自分の感性の声をより深く聞こう、大切にしよう、そう思う出来事なのでした。

くも
空が青いから白をえらんだのです。




私は言葉が好きです。




自分の中の想像力を外に出した小説。


心を中を一瞬横切ったものを切り取った詩。


自分の持つ信念を前面に押し出した歌詞。



どれもこれも素敵な想いで溢れてる。


そんな言葉たちの中で最近、私に直撃した詩




「空が青いから白をえらんだのです。」




この詩を詠んだのは
暴れるお父さんから、お母さんを護ろうとした健気な小さな男の子。


彼がお母さんを護れるほど大きくなった時、お母さんは亡くなったそうです。


「辛くなったら空を見上げて、そこに私はいるから」と言い残して。



そんな彼が空を見上げて詠んだ詩。




言葉はその人の魂を表現する、人間だけが使える道具。


その道具は、魂を乗せて人の魂に入ってくる。






今日は初夏の良い天気。

彼のように晴れた空を見上げた時に、
彼の詩が心の底からから浮かんできました。




あの真っ白い雲は、彼のお母さんなのかもしれないなぁ
なんて思いながら。

鮮度

「悩みなんてなさそうよね花ちゃんは。」

なーんて言われる事が多い私

私だって悩みの一つはあるさ!重要じゃないだけで。



こんな感じでのんびり暮らしてる私は、たった一つだけルールを決めてるの。



「比べない事」



たったそれだけ。

みんなはみんなの意志で生きてるんだから比べようがない。
だからこれは大丈夫。


良く比べがちなのは


「過去の私」


私たちの心も身体も感情も変化し続けてる。
一分一秒たりとも待ってくれない。

むき続けるタマネギのように


そして過去へ行けるのは
「頭」だけ。
心も身体も連れて行けないの。


「頭」だけが過去へ行った時、何が起きるのか。



鮮度が落ちるの。



私たちは「今」が最新なの。


心も身体も過去を経験してるから、「頭」は過去へ行けるし、今の私と比べる事が出来る。



でも、それはすでに脱ぎ捨ててしまったタマネギの皮。


「過去の私と、今の私を比べない」


私は今が最新で、一番鮮度が良いの。



「過去に出来ていた事が、出来ない」という壁に「頭」がぶつかった時。



私は一言、心の中でそっとささやくの
「ありがとう昔の私。そして初めまして、今の私。」


すると「頭」がほっとして主導権が身体に移るの。


そしたら今という一番鮮度が良い時間が戻ってくる。
ほんとうに鮮やかに。







今、何かに悩んでいる人へ


今私たちを囲んでいる「社会」という織物は「頭」が織ったもの。



変わり続ける私たちに、その織物はついて行けない。



私たちが生きてる限り織物は古くなっていく。



今の、この瞬間の感覚を感じて信じて生きてほしい。



そしたら「頭」に属する悩みのほとんどは重要ではなくなるから。