花チャンネル

日々、私の中から生まれる詩、言葉を綴っています。

幸せは感じるちから。

人とこころと社会と。





「できる、できない」


「やりたい、やりたくない」



この違いってなんだろう。



それは人からの評価なのか
自分の感覚なのかの違いだと思う。



人からの評価で自分のする事を決めるのを


成果主義


と呼ぶらしい。





「あなたは、どれだけ果実が採れましたか?」


「その数は他の人に比べて、どれほどのものでしょうか?」



って感じかな?




いっこだけ、ひとつだけ大切なものが抜けてると私は思う。




それは



「その果実は、美味しかったですか?」


「自分で育てた果実が成ったのを見たとき、どう思いましたか?」




そう、自分がどう感じたのかっていうのが抜けてると思うの。





私は
のんびりと暮らしてるけど、どうしても忙しい時もあって。



その日々の暮らしの中で、ひとつだけ「アウトワード」を決めてる。




言ってはいけない言葉」じゃなくて


「自然と口や頭に浮かんだら、ストップのサイン」として




それは



「時間がもったいない」



という言葉。





この言葉が頭をよぎる時、必ず私は
「できる、できない」のモノサシの上に立ってる。





そして

「(できていないから)時間がもったいない」

というこころの形になってる。





これは本当にアウト。



今すぐにストップ。




私の幸せは
「私が幸せと感じているか」
どうかなの。




幸せってとてもとても主観的なもので
人と比べるためのモノサシの上に、その目盛りは無いの。




ふと見上げた夜空


音もなく、窓を濡らす静かな雨


帰り道に沈むグラデーションの夕陽


大好きな人の優しさを感じるたわいもない会話


雨上がり、透明な珠のついた葉っぱ




私はここにある素敵なものを深く味わう時に、幸せを感じるから。









なんかこの社会は生きづらいなぁ、と思う人へ。



今、私たちの生きる社会という場所はこのモノサシがとても多いと思う。



「できる、できない」を計るモノサシ。



一度、そのモノサシの上から降りてみよう。



そこには
あなたの感じる世界だけがある。



もしその世界のなかで
「素敵」と想うものがあったら
たっぷりと時間をかけて、こころゆくまで味わってほしい。



きっと、その感じる力こそが
あなたの本当の才能だと私は想うから。






世界は実は、いつも素敵なものであふれてるんだよ。


私は生きていて、そう感じるから。