花チャンネル

日々、私の中から生まれる詩、言葉を綴っています。

君たちはどう生きるのか

「君たちはどう生きるのか」というベストセラーだという漫画を
読んでみました。 




息苦しい、ただ息苦しい。




まるで、昔の私がそこに居るような感覚になりました。




昔の私なら、悩んでたであろう


「君たちはどう生きるのか」


という作者からの問い。






今なら即答できます。



「それをあなたに教える筋合、ないよね?」



「いいから口出ししないでよ。」


です。




年をとってずいぶんと生意気になりました(笑)






ここから先は
人によっては、とても不快になるかもしれません。



それでも
昔の私にメッセージを書きたくて。



それが誰かの役に立つかもしれないと思って。











10年くらい前の私へ。






答えを、自分の生き方を、人に問わない事だよ。





人の信念が、自分の感じる事よりも優れているなんて思っちゃダメだよ。





傲慢になれって言ってるんじゃないの。



自分の心で感じるものを、大切にしてほしいと思うの。






他人の言葉は、どれだけ立派でも、強くても、かっこよくても




「自分の心から出たものじゃない」



「その人の世界から漏れ出た、その人の一部」




って事を忘れてはいけないよ。







本という媒体は特にそう。




作者は「あなた個人」へ言葉を紡いではいない。



「未だ見ぬ読者のみんなへ」




不特定多数へ向けて
書いている言葉だから。





鵜呑みにしないで。




よく噛み砕いて、消化して。






どんな信念が


作者を突き動かして


言葉を紡がせて


あげく出版なんて大変な事をさせているのかをよく見極めて。





じゃないと、自分の軸を他人に預ける事になってしまう。





私も経験があるから、痛いほど分かる・・・







それはとても不安定な道。




「こんな時あの人なら、どう考える?」



「どう動く?」



「・・・どう感じる?」





答えを頂いた人とどれだけ一体化しても、それはどこまでも他者。




慣れると自分の感覚を信じなくなってしまう。




まるで「正しさ」の圧力鍋の中に居るような。





読んでいて、懐かしい圧迫感を感じていました。






「わからない、答えがほしい。」


という人が


「答えを教えよう!」


という人に頼るのは、自然な事。






でも、その先にあるのは答えじゃないの。



圧力鍋の入り口だよ。







少なくとも、その中にいるとき



私は幸せではなかったよ。







そもそも内向的な私に



「俺は正しい、俺の話を聞けー!」



という強烈に外向的な人の本と合うわけがないって



今なら分かるんだけどさ(笑)








自己啓発というジャンルでベストセラーになるということは



「無意識で、多くの人がこんな人を理想としている。」



ということだよ。






この分かりやすく、伝わりやすい本を
PTAの人たちが、感受性の高い子供に押し付けようとしているらしい。



その理想は、誰のためなの?



それは、自分の感覚を捨てて
地雷原を裸で歩かせるようなものなのにね。






静かに目を閉じて、ゆっくり息をしてみて。




そこで感じるものが、あなたのもの。




それは人には伝えられない、あなただけのもの。




そして「これはみんなに伝えなければ!」と思ったものが
言葉になり、本になってるの。





言葉は、感じるものには絶対に勝てない。



言葉は、感じるものを表現するための道具だから。




だから、人の言葉よりも
自分の感覚を信じてほしい。





そして、発信する必要はないけど



自分の感じるものを言葉にしてみてほしいです。



その言葉こそが、あなたを創っていくんです。





10年くらい未来の私より。











何かのレビューなんてがらじゃなくて、
「それをどう感じるかなんて、その人次第だよね。」
って思うし




ましてや批評なんて、作った人に失礼だと思うけど。





この本は分かりやすくて、間口が広いから。


「他者の理想を、軸にする」


その先に待っているものを知ってる分、どうして言いたくなってしまいました。